概要
旧豊前国である大分県中津市蛎瀬八坂神社にて伝承されている豊前系神楽。
文政元年(1818)に蛎瀬織と共に神楽を奉納したという記録があることから江戸時代以前より神職社人等により伝承されてきたと考えられる。
明治以降は地域住民によって継承されてきた。
約百四十年前に福岡県吉富町の八幡古表神社の宮司より、蛎瀬八坂神社の神楽方、横松房太郎等に湯立神楽が伝授されたとの文献が伝わっており、殊に湯立神楽は陰陽五行に基づく祓い、火渡り等の演目があり求菩提山豊前修験道の影響が随所に見られる。
その際に伝わった演目を含め通常演目三十三番、その他番外の五番を合わせた三十八番の演目が現在も継承されている。
平成二十八年国の重要無形民俗文化財指定
一部演目紹介
岩戸神楽
スサノオノミコトが高天原で悪さをしたために天照大神は悲しみ天の岩戸に籠もられてしまった。常世は闇となり様々な禍事が起こるようになり困り果てます。神々は天の岩戸より出てきて頂くために色々と策を練り最終的には天照大神にでてきて頂き元の明るい世界に戻ったという物語。豊前岩戸神楽の根底であり通常はいちばん最後に舞われる神楽である。
駈仙神楽
天孫降臨の折、高天原より日向の高千穂までニニギノミコトが降る際に天の八衢に高天原まで照らす神が居た。この神が何者であるか尋ねてくるようにニニギノミコトはウズメノミコトに命じた。その神と戦い決着がなかなか付かず、問答を繰り返すと
天津神を迎えに来た国津神のサルタヒコノミコトであると判り共に天降る事となった物語を舞にしたもの。多種の駈仙神楽系の演目あり。
湯立神楽
求菩提修験道の影響を強く受ける神楽で竹矢来を組み湯庭を設け中央に十メートル程の
湯鉾を立て湯釜を設ける。鑽火を用い火を付けその湯の中に五色の弊を立てて舞う神楽である。途中、湯駈仙と称し湯釜の湯を観客に撒き無病息災を祈りまた鉾の一番上まで登りロープを伝っておりるなどの所作がある。最後は火渡りを行い湯立神楽を執り納る。
芸訓
尊学古以信義基芸道
そんがくは
いにしえのしんぎをもって
げいどうのもといとす
古きより伝わる思いを顧みて自分を尊び相手を敬う。
自分を敬いまた相手を尊ぶ。
芸の体系は真心を持って誠心誠意約束を守り相手に対するつとめを一生懸命果たすことこそがもといである。
続く次世代にもこの芸訓の精神を以て伝承していくことが我々の課題でもあります。